野球選手が夢だった。

こんにちは(^o^)

居酒屋しろうのブログ担当の

今更恥ずかしいですが、ある方から、自分の成り立ちをブログに書くよう勧められ?うながされ?

しぶしぶ?今から書こうと思う

大将のしろうです。

誰も興味ないと思う〜、と思いましたが、読む方は読む!ってことから、自分の生い立ちめいたことを、簡単に書いて、居酒屋しろうの成り立ちを…とのことでしたので、皆さん、よろしくお願いします。

僕が生まれて、初めて夢を持ったのが、野球選手でした。

小学校に上がってすぐ、父親の運動不足解消の為に始まった野球と、毎朝の鶴舞公園でのランニング。

家の近くの公園で毎日仕事が終わると、休日は朝から、球が見えなくなっても野球をしてました。

自分が記憶にあるのは小学2年の時。

6年生が野球をやっていて、入る?と聞かれ、入れてもらいました。

初めて父親以外と野球をやる自分。

思い切りバットを振ると、その日一緒にやった人たちの中で、誰よりも打球が飛んで行く…。

何打席打とうが、誰よりも打球が飛んで行く。

初めて快感のような、嬉しさと楽しさを覚えました。

それまで、父親のお世辞のような褒め言葉欲しさにやっていた野球が、初めて楽しい!と思える瞬間でした。

その日から、父親を待つことなく、学校が終わると、壁を見つけてはボールを投げ、公園に行っては、野球をやっている先輩を見つけて、入れてくれと言うのが楽しみでした。

この頃から父親の僕への投球は、僕の体をめがけて投げ、よけるな!三塁ベンチに叩き込め!との過熱ぶり?

父親の野球仲間から、鉛の入ったボールや、巨人の星のような、杭が入ったボールや、チューブなどをいただくことになる。

小学4年になると、待望の野球部へ。

初日が土曜日でした。

一塁側に並んだ4年生は全員応援要員。しかし、次の週には、もうユニフォームを着て、試合に出てました。

中学に上がった後も、今も、小学校に顔を出すと、伝説の長谷川さんだと言われることがたまにあり、嬉しい限りです。

ただ、1つ上には、もっとすごい先輩がいたことに、後から知らさせます。

T先輩でした。

舞台はリトルリーグ!

必ず日本一をかけた試合でホームランを打つようなT先輩は、小学校の野球部のような軟式ではなく、硬式のボールで野球をやっていました。

小学校6年生で柵越えホームランをたまに打てる僕とは違い、常に柵越えホームランを打てるT先輩を見て、この人に食らいつくしかないと思った小5でした。

しかし、高校まで野球をやるが、小さな地区の有名人?は、甲子園出場校に勝ったチームの4番打者と対戦した時に、人生最高の1球を投じましたが、ホームランを打たれ、その日に怪我をし、復活するが、上には上がいることを思い知らされ、野球に別れを告げるのでした。

続く

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