僕が二十歳の時、大阪のとある専門学校へ通ってました。
その頃の同級生や社会の動向からすると、
大学へ行くのがセオリーなところ、
大学へ行く4年間も遊ぶくらいなら、その間に一生食べて行ける腕を何でも良いから身につけたい!
って気持ちから「食」の世界を目指したからです。
朝は6時に起床、新聞を取るお金がないからニュースを見ながら朝食を作る。
8時には学校へ向かう為、家を出る。
16時半までの授業はいつもカセットテープに録音をしていた。
授業後から夜中の12時までは、ひたすらアルバイト。
家に帰れば3時まで、授業の確認と包丁の練習でした。
1年が経ち、卒業式の日、僕は第50回生の8人の代表のうちの1人となりました。
大阪城ホールを貸し切っての卒業式、永六輔さんがいらっしゃいました。
永六輔さんは、こんな話をしてました。
「僕は名前がえいだから、えいと言うお魚の紹介を…。」
お魚のえいの食材としての魅力や、調理法をお話しされ、最後にもう一つだけ知っておいて欲しいと。
「最近では、宗教的なことから学校でいただきますと言う言葉が使われなくなり、太鼓を叩いてお昼のご飯を食べ始める学校も出て来ているそうです。」
「いただきますは、仏教用語なので、そうでない宗教の方には使われない言葉かもしれない。けれど、生きている生命を自分の生命に変えさせていただいていると言うことは、理解しておいて欲しい。」
と。
僕はこの時、プロとして働き始める直前だと言うのに、知らないで恥ずかしいと思うこともなく、その世界に入ろうとしていました。